爛柯亭仙人の
囲碁掌篇小説集


囲碁のある人生


囲碁のある人生 13

碁打ちは親の死に目に遭えないという。江戸時代、碁士の公務は御城碁で、期間中は城外に出ずに対局するのが決まりだった。それがいつからか親不孝の代名詞となった。だが、あながち間違いとは言えない。碁好きが高じて道を踏み外した例は数多いからだ。私もその一人だが後悔はない。

囲碁のある人生 12

僕が通う大学では囲碁の講座で単位が取得できる。お遊び半分で単位が取れるなんて最高だ。そう思って受講したら、とんでもなかった。すっかりハマり、気がつけば囲碁三昧の日々。たしかに単位は取れたが、他の科目の単位が取れずに留年決定。しまった。大局観のなさが敗着だったか。

囲碁のある人生 11

Bさんは対局中に脳溢血で倒れ、病院に運ばれて亡くなった。とにかく碁キチの常連さんで毎日のように顔を見せた。私を見ると「席亭、一局どう?」が決まり文句。勝ったときの笑顔が忘れられない。Bさんとの最後になった一局を私はなぜ勝ってしまったのか。今はそれだけが心残りだ。

囲碁のある人生 10

晴れて棋士になったら扇子に揮毫する機会が増え、なにより習い事としていい。そんな理由で院生時代から書を習っている。残念ながら揮毫の機会は皆無だが、最近では碁石より筆を持つことのほうが多い。実用性でいえば書道に軍配が上がる。囲碁を実用に活かす道があればいいのだが…。

囲碁のある人生 9

納得の詰碁が完成した。対象は初二段程度だが、思わぬ落とし穴と変化がある。盤上の小さな宇宙。囲碁とはなんと玄妙で奥深く、不思議な悦楽に満ちた世界であることか。この面白さを生涯知らずに終える人がほとんどだと思うと、残念でならない。なんとかしたいが、なんともならない。

囲碁のある人生 8

長男が数えで五歳になったとき、宮中行事にならって『着袴の儀』なるものをやってみた。袴を着させた息子を、六寸の碁盤の上から飛び降りさせたのだ。その後、囲碁を覚えた息子はまったく強くならなかった。私の遺伝子のせいにはしたくないから、バチが当たったことにしておこう。

囲碁のある人生 7

私は居酒屋で親友と碁を打っていた。劣勢だったが、妙手を放っての逆転勝ち。いい気分だ。が、次の瞬間、目が醒めた。顔を上げた。
「大丈夫か?」
親友が心配顔で言った。目の前には飲みかけのグラスと碁盤。
「俺の勝ちか?」
その言葉を聞いて親友がニヤリと笑った。
「さあ、帰るぞ」


囲碁のある人生 6

黒と白の戦いだから烏鷺、着手で会話するから手談、面白くて斧が腐るまで見ていたことから爛柯や腐斧など、囲碁は多様な別称をもつ。一度覚えたら、やめられなくなる麻薬的な魅力。仕事そっちのけで生活が破綻したり、穀潰しと呼ばれたりする人も出る。私もその口かもしれないが…。

囲碁のある人生 5

琴棋書画。かつて音楽、囲碁、書道、絵画が貴族の教養とされていた。私は一通りできるが、「できる」というだけでレベルはたかが知れている。逆にいえば、どれ一つとしてモノになっていない。悲しい。せめていま楽しんでいる囲碁くらいは上達したいものだ。教養のレベルを超えて。

囲碁のある人生 4

93歳のNさんは頭脳明晰で碁を打てば泰然自若、なんとも大局観のいい打ち手だった。碁はボケ防止の妙薬という言葉が虚しく感じるほどだ。「80で覚えた」というが、有段の腕前に達していた。驚異的な上達である。30年後、私も彼のように矍鑠として碁を打っていられるだろうか。

囲碁のある人生 3

20年前に死んだ親父から一通の葉書が届いた。郵便碁の相手が転居先不明で、なぜか今戻ってきたのだ。
「10の十二。ナナカマドが赤く燃え、すっかり紅葉の季節に…」
と記されている。父の打った手を頭の中の碁盤に置いてみる。次の手を待ち続ける間、父は何を思っていたのだろうか。

囲碁のある人生 2

女房の打った手を見て、絶望的な気分になった。なんとか負けてやろうと思っているのに、これでは負け筋が見つからない。私が勝てば、女房の機嫌が悪くなるのは必至だ。負けるための奇妙な長考。
「早く打ってよ」
と女房。教えた私が馬鹿なのか。囲碁も夫婦生活も、そろって袋小路だ。

囲碁のある人生 1

「ボケ防止にいいから」
という理由で碁を始めたカンサイさんはゴリゴリの筋悪碁で、そのくせ投げっぷりのよい悲観派だから、みんなに人気があった。負けがこんだ人は
「カンサイさん打とうよ」
と一局お願いする。
「あかん、オカン。また負けた」
彼はそう言って次の碁を挑むのだった。
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