爛柯亭仙人の
囲碁掌篇小説集


プロ棋士たち


プロ棋士たち 21

当事者より傍観者のほうが何倍も先を見通せることを岡目八目という。もとは囲碁用語だが、プロ棋士にこの格言はほぼ当てはまらない。手の読めぬ素人に使う言葉なのだ。だが、名人にこの状況が発生し、周囲は目を疑った。何が起きたのか。名人の返事は「いま理由は言えない」だった。

プロ棋士たち 20

父親にむりやり碁を教えられた私は、子供のころ碁会所に行くのがイヤでしかたなかった。煙草臭い室内で大人相手に碁を打ち、将来はプロにと期待されるようになった。それが今こうして父となり、我が子の手を引いて碁会所に出向いている。息子もイヤなのかな。そう思うと、少しつらい。

プロ棋士たち 19

名人は長考していた。最善手はどこなのか。少しでも緩めば均衡が崩れる。そのチャンスを逃す相手ではない。
「困ったちゃんだねえ」
と名人がボヤく。
「リンダ、困っちゃう」
と挑戦者が応じる。互いに盤面を凝視したままだ。軽口の応酬の中に漂う緊迫感。あと数時間で新名人が決まる。

プロ棋士たち 18

仲間の棋士とツイッターで対局を始めた。私の先番。初手右上隅星、4の三小目…。157手目、まったく先が読めなくなり、私は潔く投了した。シチョウの逃げ出しがわからなければ、碁にならない。
「投了が敗着。こっちも投了しようと思っていたよ」
と相手。お互い、修行が足らない。

プロ棋士たち 17

男は碁打ち仲間から天才と呼ばれていた。天才的な閃きを、大舞台で迷うことなく打つ能力。だが、不思議とタイトルには縁が遠く、碁界の七不思議と言われていた。ふん、勝てなければ意味がない。男は天才と言われるたびに自嘲した。結果を出したい。それが男の心底からの願いだった。

プロ棋士たち 16

親父に賭け碁の代打ちに行かされたのは小学校高学年の時だった。相手は地元の強豪で、当時の金で50万円程度の大勝負。さすがに指が震えた。もし負けていたら…。親父にすればプロ修行の一つだったのだろうが、残酷な話だ。今の私にはとても真似できないし、真似られる時代でもない。

プロ棋士たち 15

次の手が最善か否かはどうでもよかった。この一局に勝つための一手。だが妙案が浮かばない。ふと、善悪の判断のつかない手が浮かんだ。その先がどうなるのか、私にはまるで読めない。もし敵にも読めなければ闇試合となり、勝機が生まれる。私は石を掴み、決然と打ち下ろした。勝負。

プロ棋士たち 14

山手線の車内で囲碁の女流プロと男性棋士を見かけた。親密そうな様子から、ただならぬ間柄と感じた。女流の名前はすぐわかったが、男のほうの名前が出てこない。後で判明したことだが、男性は将棋のプロで、二人はほどなく結婚した。今からン十年前の話。あえて虚構として発表する。

プロ棋士たち 13

催事場で九路盤の目隠し碁を打った。この程度の芸がなければプロとは言えない。相手はアマ高段者。石が正しい筋にくるので、初心者を相手にするよりはるかにやりやすい。作って三目勝ち。局後に多彩な変化図を披露し、会場から感嘆の声が上がる。棋士としての誇りを感じる瞬間だ。

プロ棋士たち 12

月に一度の研究会で一手十秒の早碁を打った。総勢六人のリーグ戦。ほぼ直感力の勝負だが、終盤は瞬時にどれだけ読めるかが決め手になる。難解な局面では呻きやボヤキが漏れ、切れる寸前に慌てて時計を叩く音がする。スリルと興奮に満ちた、稀有な時間。だから囲碁は、やめられない。

プロ棋士たち 11

詰碁、棋譜並べ、実戦。囲碁の上達法はこの三つしかない、と師匠が言った。
「酒や遊びや賭事では強くなれませんか?」
と訊いたら、
「それも方法だが遠回りだ」
と笑われた。
「俺を見てみろ。あちこち遠回りした挙げ句にこのザマだ」
たしかに。実例の言葉なだけに、妙な説得力がある。

プロ棋士たち 10

楽碁会に遅れて顔を出すと、もう始まっていた。
「先生、すみません。お先に飲ってます」
案内されて席に着く。碁盤が七面。みなグラスを片手に楽しそうに打っていた。あちこちで愚形だらけ。どうしてこんな碁になったのか想像もできない。多面打ちの指導碁は、すべて勝つつもりだ。

プロ棋士たち 9

海外棋戦で負けると、途端に風当たりが強くなる。棋士として責任を感じる。負けたら言い訳はできない。日頃の勉強量や研究量の差が結果として現れる。実力的には僅差でも結果は大差。そんなことが何年も続いている。棋士が生きることさえ困難な時代に妙手はあるのか。探すしかない。

プロ棋士たち 8

一手で負けにしてしまった。手どまりの大場を打つ前に、一本だけ利かそうと思ったのが間違いだった。貪れば勝ちを得ず。いまさら後悔しても始まらない。私が溜息をつくと、相手がボヤいた。まだ僅差で、向こうも楽観はしていない。同じプロどうし。だからこそ追いつくのは困難なのだ。

プロ棋士たち 7

その手に気づいた時、考え始めてから一時間たっていた。指摘されれば「なるほど」と思う手だが、実戦で発見するのは容易ではない。私自身、偶然の閃きにすぎない。だが私が気がついたことを、相手はおそらく察知しているはずだ。今その手を打つべきか否か? 私は再び長考に沈んだ。

プロ棋士たち 6

いったい私は何のために碁を打っているのか。男はそう自問した。ただ勝つためではないはずだ。私の一手に価値はあるのか。その手に何を託そうとしているのか。私ならではの一手。まさしくそれは、私が私であることの証明ではないのか。碁とは何なのか。その答えはまだ見つからない。

プロ棋士たち 5

いくら考えても解けない不思議な詰碁だった。解けたと思った瞬間、意外な応手があり、正解がするりと逃げていく。思考の堂々巡り。出題した棋士に
「あれ、一週間考えたけどまだ解けないよ」
と言うと、
「えっ」
と絶句した。
「すまん、外の石が一路ずれてたんだ。言わなかったっけ?」


プロ棋士たち 4

「置く前に一本ツケたらどうなの?」
「ああ、ツケて切って」
「ハネて本コウでしょ」
時としてプロは感想戦を口先だけで行う。観戦記者の私としては、あとで図を作って確認する必要がある。彼我の圧倒的な棋力差を痛感する瞬間。プロは頭の中に碁盤があるが、私の碁盤は乱視状態なのだ。

プロ棋士たち 3

「なに?」
そう言って相手が座り直した瞬間、ポカに気づいた。すでに打ってあるはずの私の石が盤上にない。数百手の変化を読むうちに、頭の中ではとっくに交換済みの手と錯覚していた。
「ポカがなければ俺が一番強い」
とは秀行先生の嘆きだったか。私は大バカ者だ。死んでも治らない。

プロ棋士たち 2

「ありません」
私は静かに揚げ浜をつかみ、盤上に置いた。負けはツラいことだが、このときは
「ああ終わったな」
と思っただけだった。名人の座から滑り落ちた瞬間。記者がなだれ込み、フラッシュをたき、新名人を質問責めにした。今夜私は独り夜行に乗り、帰路に着こう。そう思った。

プロ棋士たち 1

「55秒、6、7…」
時間切れになる寸前、慌てて石を打ち下ろした。昔に比べて確実に反射神経が鈍っている。秒読みに入って数十手。こんな戦い方を何歳まで続けていくのか。相手の若手は終盤に時間を残している。私への対策…。負けるわけにはいかない。私は気合を入れ、座り直した。
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